ダ・ヴィンチ・コード
監督:ロン・ハワード
出演:トム・ハンクス/オドレイ・トトゥ/イアン・マッケラン
2006年/米/150分//☆☆☆
批評 映像化してはならなかった小説であったらしい
殺されたルーブル美術館館長。
彼は、その死の間際に、暗号を残した。
その暗号は、基督教を、人類を揺るがす重大な秘密への繋がっていた...
もっとも致命的な問題は、原作では、図像学の知識と暗号の知識が重なって初めて暗号が解けるようになっている = 物語が進むようになっているにもかかわらず、暗号解釈があっさり流されてしまっている事だ。
その上、ヒロインが暗号の専門家だという描写がほとんど欠落しているために、主人公 (図像学者) と一緒にいる意味が分かりにくい。
これでは主人公二人が、一緒に行動している理由がわからない。
おかげで、物語全体を引っ張る力にかけてしまっている。
その上、小説版では、図像を説明しきれず理解が難しいという難点があったが、小説をほぼ忠実に映像化した映画版では、解釈の無理がそのまま映像になってしまっているという、映像化ゆえの悲しい自体を巻き起こしている。
最後の晩餐の、「隣が女性だ」理論などその最たる例だ。
文章で読んでいるだけだと、「じゃぁ、ヨハネはどこに!?」で済んだのだが(最後の晩餐は、聖書の記述に従い使徒が全員描かれている。その中に使徒ではない人間がいるということは、使徒が一人足りないということになる)、映画では「そもそも女性に見えない、というか胸が
ロールシャッハテストで心理誘導かけられている気分だ。とてもそうは思えない。
もっとも、作中のトンデモ歴史解説が、小説だと「えぇ!?」と思わされる代物だが、イアン・マッケランが威厳たっぷりに演じると、思わず納得しそうになる (彼も最後は、かなり哀れな演出の犠牲になるのだが) という、思わぬ利点もあった。
これは役者の上手さだろう。
結果としていうのであれば、この映画は、そもそも映画化してはいけない原作を映画化してしまった、ということを立証してしまっただけに思える。
いかに売れた本であっても、片っ端から映画化してはいけない。
・・・教訓、というより、分かり切っている事実だな、これは。