地下鉄に乗って
監督:篠原哲雄
出演:堤真一/岡本綾/常盤貴子
2006年/日/121分/☆☆☆
批評 報われない努力の炸裂した映画
* 重大なネタばれに繋がる部分があるので、映画を見るつもりの方は、読むのをやめておいた方が良いかもしれん。
地下鉄の駅から地上に出ると、そこは過去だった。
自分の知らない親の姿を、今、見ることとなる・・・
父親との諍いが、過去を見ることで解消されて行くという話は、過去を"実際に見ている"という特殊性はともかく、比較的多く作られているテーマだ。
家庭を顧みていないように思えた父親と、「家庭は捨てていない」といいつつ不倫している自分の姿の二重投影など、この、"実際に見ている"部分以外に、あまり意外性は無い。
ところが、この最大の特徴部分に違和感がある。
まずタイムスリップ (と、言ってよかろう) する二人、堤真一 (1964年生まれ) も、岡本綾 (1982年生まれ) も、戦中世代の親を持つような年齢には思えん。
地下鉄に乗る前が「平成の世」(台詞もそうだし、地下鉄には東京メトロのロゴもある) なので、ちょっと前を元にしている、という逃げ口上も使えない。
また、タイムスリップの結果、この二人の意外な関係 (あまりにも露骨に伏線を張ってしまったが故に、かなり早い段階で気がつく人が多そうだが) が明らかになったところも、堤真一と岡本綾が、なぜかあまり驚いていない。
いやこれ、物凄く衝撃的な事実だと思うのだが。
少なくとも、背徳が明らかになる瞬間のはずなのに、ちょっと驚いているだけ。
これは完全に演出のミスだよな。少なくとも堤真一は、それまで気がついていないのだから。
ファンタジー映画なので、SF なら致命的な問題になりうる"親殺しのパラドックス"に目をつぶるとしても (他にも、けっこうある)、この演出的ミスと、時代設計ミスはいただけない。
がんばっているのは分かるんだけどね。
空回り気味だと思う。これでは。