メトロポリス
監督 : フリッツ・ラング
出演 : ブリギッテ・ヘルム/グスタフ・フレーリッヒ
1926年/独逸/☆☆☆☆☆
批評 偉大なるフリッツ・ラング
素晴らしい作品です。偉大な作品です。1926年製作なので、もう80年近くがすぎようとしている映画。けどすごいの。
この映画こそが、後に手塚治虫「メトロポリス」を生み出し、「鉄腕アトム」へとつながり、ホンダの P シリーズへとつながると思うと感無量。
他にも「ジャッジドレッド」がこの映画の未来描写の発展系に過ぎなかったり、「フィフスエレメント」がこの映画の未来描写に追いついていなかったりと、いかにこの映画が先に進んでいたかが分かるというもの。
近未来、超高層ビルが立ち並び、繁栄を続けるメトロポリス。
その地上の繁栄を支えるのは、地下で虐げられ働かされている労働者達だった。高鳴る労働者達の反感。それを制するのは、一人の女性。
「時が満ちるのを待つ。今は地上で暮らす彼らとであっても、きっと分かり合える」
そう解く彼女の言葉によって、なんとか労働者達の不満は押さえられている状態だった。
メトロポリス行政長官の息子は、ひょんとしたことから地上に現れた彼女に一目惚れ。彼女をおいかけて地下の世界を覗いた彼は、その劣悪な環境に心を痛める。
さらに、地下世界を完全な支配下に置こうと画策する父親と、表面上は服従しているように見せかけつつ、実際には闘志を失っていないかつてのライバル科学者。
四人の思惑が、メトロポリスを揺るがす!!
科学者の作り出したロボットの起動シーンが、まるっきり「アトム」で使われていたりするのは、この映画を見たときの手塚の衝撃を物語っているのだろう。
地下世界の労働者達と、地上の繁栄なども、手塚の「メトロポリス」で使われているネタである。
この作品で本当に驚くべきは、そうした他の作品への影響力であり、同時に、そうした影響が今を持って続いていると言うことだろう。
現在の SF 映画のすべての基礎がここにあると言っても過言ではない。それどころか、SF 映画以外でも、この映画の影響を強く感じることが出来る。
意図的に真似したわけではないだろうが、ビジュアル的に同じような構成の画というのも数多く見ることが出来る。
暴動のシーンでは「戦艦ポチョムキン」(を元に、黒澤明が「隠し砦の三悪人」が作った画の方が、より「メトロポリス」的だが) 屋根の上での決闘では「ルパン三世 カリオストロの城」。
おそらくそれらは、別に元ネタがあるか、それとも見せ方を研究した末に「メトロポリス」と同じ画になっちゃったんだと思う。
逆に言うと、それだけ「メトロポリス」が進んでいたということも言える。
物語的には、「表面上は発展し、栄華を極めつつ、地下には貧困が広がる両極端な未来」という意味では、ジューヌ・ヴェルヌ「20世紀のパリ」(小説、未映像化)などに共通している部分も見受けられる。
テーマ的にはともかく、物語の展開や結論は違うものだけどね。
白黒の無声映画。けどこの映画の凄まじさは十分に伝わってくる。
未見の方はぜひ一度見ることをお勧めする。すげぇよ、本当に。
番外編「雑談」
今回この文章を書いてからちょろちょろっと調べたんだが、この映画は紆余曲折を経て現在の形になったようだ。
なんでも、最初にフリッツ・ラングが編集したバージョンでは240分を超える超大作だったとか。
残念ながらこの映画にかかった費用を回収する前に、製作会社が倒産 (ようするに制作費がかかりすぎた) してしまい、オリジナルヒルムが残っていないのが残念。
「2001年宇宙の旅」や「アラビアのロレンス」(完全版と唄われた DVD 版でさえ、公開当時のカットがいくつか足りないようだ) などと被る物がある。
そして、ここからがこの映画の本当の悲劇だったのだろう、カットの嵐があったようだ。独逸で初公開されたときは、183分。日本や米国で公開されたのは63分。独逸でリバイバルされたときは96分。
たぶん、私が今回見たのがこの独逸リバイバル版から、さらに若干短くしたものだろう。推定で90分くらいだったから。
現在修復、リマスタリングされたのは183分らしいので、おそらく独逸初公開版のヒルムがもとになっているのだろう。正直なところ、それが現存しているのが信じられないが。
まだ日本では入手できないが、見られるようになると大変嬉しい。
そもそも、あの物語は90分ではちと短いのだ。はっきり言って手狭なのだ。あれが倍以上の時間をかけて、どのような物になるのか。
おそらく今のものとはまったく違う衝撃があるのではないかと睨んでいる。