タイタニック
監督:ジェームズ・キャメロン
出演:レオナルド・ディカプリオ/ケイト・ウィンスレット
1997年/米国/196分/戸田奈津子/☆☆☆☆
批評 恐るべき!迫力のパニックムービー
誰もが結末の知っている物語を面白く撮るのは難しい。
しかし“知っている事”というのは“見た事”ではない。歴史的な出来事であればなおさらだ。
監督ジェームズ・キャメロンはそれを実に見事に突いてきた。
物語は実にチープだ。
豪華客船タイタニックに偶然乗り込んだ労働階級の男と、没落したとは言え貴族階級の女の恋物語。
冒頭に沈没しているタイタニックの画を見せ、事故の生き残りの老婆を登場させ、彼女に語らせるというカットバック方式で撮っている。
はっきり言って斬新さはない。この映画の真の楽しみ方は映像にある。
前半戦は出港をダイナミックに画にし、その後登場人物の説明と船の説明に入る。
この辺りは、エンターテイメントと堅実な演出の融合で、安心して見ていられる。問題はこの後。具体的に物語が動き始めてから。
なんとかして没落を止めようと、貴族家が娘を有力貴族に差し出す。その娘はそれが嫌で嫌でしかたない。そんな中、労働階級の男と恋に落ちる。などという物語は、はっきり言って死ぬほどたくさん作られている。そしていかどキャメロンが演出をしても普通の恋愛ドラマにしかならなかったのだ。
前半の船の華麗さと、後半の迫力の映像の中で、中盤はおそろしいまでに普通の恋愛映画なのだ。
たしかに普通の恋愛映画としての完成度は低くないが、前後が極端な映像であるが故、“普通に、ただ完成度の高い画”というのがネックになってしまったのだ。はっきりいって悲劇だ。
後半戦。はやりここにこそキャメロンの真骨頂がある。
氷山との接触から沈没まで、実際にかかった時間はおよそ一時間。
この映画ではそれよりも若干大目の時間をかけて沈没するシーンを撮影しているし、リアリティーよりも映画的になるようディフォルメ (衝突後の経過時間と、船の傾きなど) されているのは、リアリティーと物語の隙間を縫う見事さ。
この辺のシナリオの巧さは、リアリティーを履き違えている日本映画界は見習うべきだと、私は強く思う。
“最後まで演奏を止めなかったバンド”というあまりにも有名なエピソードをバックに置き、“沈み行く豪華客船”という悲惨な映像を美しく、しかし残酷に映像化することに成功。
最後のこの群像劇こそ、この映画で真に語られなければならない部分だと、私は思う。
アクション映画である「ターミネーター2」でやってみせた、“人間の命の尊厳”を別の角度から画いた名シーンだと私が考えているからであるのかも知れないが。
そうそう、最後まで見てふと冷静に考えては行けない。
この映画の現実。それは老婆が己の青春にあった恋物語を、3時間かけて他人にぶちまける話なのだから。